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求道俳句とエッセイ 99−100号記念号 2004.8-9 発行者:平田栄一 ―目次― <山根道公氏の「井上神父『福音書をよむ旅』による聖書講座」 (10)報告> <春に死す>平田 栄一春着縫う愚者にやさしき因果律 春一番イコンに右脳洗われて 青嵐ムナシクルシと吹きまくる 証書授与雨音呼名子守歌 春雨にデュナミス効くかクラス替え 速読す『遅読のすすめ』木の芽時 人生や無駄なく春を備えたり 十字架の下に苦楽を蝶結び トニックの瓶底光り御子いまし 春愁や陥落跡にユダの金 破かれしユダのページに牡丹落つ 清明の頃との説や主の晩餐 弟子が師に躓く蛙目借時 咳払いする便器ひとつ春野かな 身に近く二十六穴ノートかな 花冷えを屠場に曳かる愛の人 魔の山の細部の神に虫めがね 菜の花や微熱持ちたる耶蘇の墓 月を背負い喘ぐ痩身幹事長 曳かれゆく牛の目の如朧月 (『俳句空間』2004年2月号) 100号記念にあたって余白暑さが続きますが、みなさまお元気でしょうか。 ごらんのとおり、「余白の風」はおかげさまで、この度100号を迎えることになりました。 本誌の創刊は、1990年(平成2年)2月です。その頃わたしは、山頭火や放哉を輩出した自由律俳句誌「層雲」に所属しておりました。その後「層雲」は廃刊となり、結果的にわたしが旧「層雲」では最後の新人賞受賞者となったのでした。 高齢者が中心となる俳句世界にあって、なんとか若い人たちの句作参加を促し、お互いに切磋琢磨できる場を、という希望から編集長・伊藤完吾氏の許可を得て、西日暮里で「層雲青年句会」を発足しました。 その後、会合形式の句会が通信句会となり、「層雲」以外の人たちの参加を促すため「青年句会」となり、さらにわたしの句作の中心が自由律から定型に移ったのを機に、会報を「余白の風」と改めました。この誌名は、わたしが受洗のとき、井上洋治神父からいただいた言葉<余白の風 神の悲愛に 露草の如く 遊ばん>から神父の許可をいただいて命名したのです。そして現在、インターネットにもアップして、より多くの方々にご笑覧頂けるようになっています。 振り返れば、長いようであっというまの14年でした。その間、おそらく延べ100人以上の人たちが、この小誌にかかわってくださったと思います。その中にはすでに他界されている方もいらっしゃいます。 飽きっぽいわたしが、なぜこここまで続けることができたのか。自分でも不思議です。今少しそれを分析してみますと、第一に、当初から「いつやめてもいい」という気負いの無さが幸いしたのだと思います。第二に、誌面の体裁を気にしないこと(以前は藁半紙でしたし、今も基本はホチキス止め。今回だけは、記念に印刷屋さんの手を借りていますが。)第三に、したがって会費やお金をとる必要がない。第四に、とはいえ、多くの方々がいつも切手代など通信費を補助して下さっていること。そのなかには、俳句などまったくつくらない、という方もいらっしゃいます。改めてお礼申し上げます。 そして何より大きいのは、本誌の「俳句(文学)を求道の一形式ととらえる」という求道俳句の趣旨に賛同される方が、継続的に投稿してくださっているということです。このコンセプトをはっきり打ち出すようになってから、案の定、投稿者は減っていきました。日本では文学と信仰は密接な関係にあることは、『風』誌にわたしが連載中の「井上神父の言葉に出会う」でも指摘しているところですが、逆に言えば文学か信仰、どちらかがあれば他方に改めて手をつける必要を感じない、という文化環境でもあるわけです。 そんなわけで今、常連として投稿してくださっているのは、比田井白雲子氏と島一木氏だけです。ピーク時30名近くいた投稿者が、たった2名に、ということは、その数字だけ見れば寂しいのですが、比田井氏は、創刊号からの参加者で、今も自由律の方で頑張っておられる、謙虚で求道心の強い人です。また島氏は「層雲」「豈」などでごいっしょしたカトリック俳人で、わたしとは信仰的に方向性を異にする所もあるのですが、そうした違いを乗り越えて、精力的に実験的な作品を発表してくださっています。いずれにしろ今は、「求道俳句」という、わたしのわがままな趣旨に賛同してくださっているお二人に支えられて「余白の風」があるのだと思います。心より感謝申し上げます。 そんななか、当初、「いつでもやめられる」と思っていた気持ちが、今は細々とでもいいから「できるかぎり続けたい」という思いに変化してきました。明るい材料もあります。それは主にネット上のことです。わたしのホームページは、「俳句・キリスト教」という単語検索でアクセスできるのですが、そこからの閲覧者が日々100人(多いときは300アクセス)以上に上るということです。これは潜在的な「求道俳人」の可能性を示すものと考えられます。 もうひとつは、俳句だけに限定せず、エッセイ的な書き物で投稿下さる方が出てきたこと。今号の小さき花氏は井上神学講座などに熱心に参加されているカトリック信者です。彼女はわたしのサイトを通しての信頼できる友人です。また、今回初投稿の瀬崎峰永氏は『アビよかえれ』で第三十六回中国短編文学賞(中国新聞社主催)第一席を受賞された、やはりネットで知り合った友人です。 今後は、こうした若い書き手にも期待し、広い文学形式から求道を考える誌面にしたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。 余白連載 俳句でキリスト教<日常に隠れて>
旅びとや夏ゆうぐれの主に見ゆ 山口誓子 「郊外のキリスト」という、ルオーの絵を思い起こさせる聖書記事エマオの旅人≠うたった句です。 ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた。話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。・・・・そこで、イエスは言われた。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」・・・・ 一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。二人が、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。(ルカ二四・一三〜三二抄) これは、四福音書におさめられたさまざまな復活顕現物語のうちで、最も示唆に富んだものではないでしょうか。 まず、旅する「二人の弟子」に、復活した「イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められ」ます。自分たちの尊敬していた先生が十字架にかかって死んでしまった。その落胆と諦めのただ中にイエスは自分の方から近づき、そしていっしょに歩く、つまり彼らの人生を共に生きようとの意志を示します。先のルオーの絵では、このイエスが二人の弟子たちに寄りそうように大きく描かれています。 にもかかわらず、「二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。」それは「心が鈍く」なっていたからだ、といいます。これはわたしたちの姿でもあります。キリスト信仰においては、復活のイエスは時空を超えてわたしたちのすぐそばに、いつでもおられるのですが、日常性のなかでわたしたちの「目は遮られ」、しばしば「心が鈍く」なっているので、それと認識することができないのです。 二人の目が開けるのは、食事の席でイエスが「パンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった」ときです。それは弟子たちに、供食(ルカ九・一〇以下)や最後の晩餐(同二二・一四以下)でのイエスの姿を彷彿とさせたからでしょう。教会が二千年来毎日ミサ聖祭をあげる意味は、この現存するキリストの顕現化にあるといえます。 <復活体の個性>
百穴に百の顔ありて復活祭 西東三鬼 三鬼は戦前、新興俳句運動の旗手として活躍した俳人であり、その代表句、 水枕がぶりと寒い海がある のように、奇抜な発想をうまく詠み込んで一読忘れがたい句をつくる、すぐれた俳人でした。掲句も不思議な印象を与える、面白い作品です。 埼玉県吉見の百穴など、古代の横穴式の群墓を訪れてものした句でしょうか。この作品もさまざまに解釈することができます。ここでは、中句「百の顔」を中心に考えてみたいと思います。 まず、上中句で切って下句へつなげる解釈です。「百の顔」を持つ「百穴」は、百人のそれぞれの死を象徴しているかのようです。しかしどのような死に方をするにしろ、「百の」――すべての人はいずれ「復活」し神の国に受け入れられるのだ、キリスト者としてわたしはそのように読むことができると思います。ちなみに、中句は「百の顔ありて」とあえて字余りにしています。この「て」により、死者が復活の希望をもちながら待つ時間の経過が巧みに表現されているのです。 次に、上句で切って中下句へつなげてみます。すると「百の顔」は、すでに「復活」して現に実在する顔、と受け取れます。その場合、「復活の体(顔)」(一コリ一五・三五以下)は無機的で一様なものではなく、「百の」――それぞれに個性を持っている、いきいきした有機体、という主張として読むことができるのです。 イエスの復活体の多様性についてはすでに触れましたが、掲句にからめていえば、イエス自身「百の顔」をもって今も、わたしたちの目の前におられるのだともいえるでしょう。 <相対化による勝利>
夕べ鍵穴から預言者が出てゆく 平田栄一 これまでの話から、イエスの復活体が時間と空間に規定された三次元的世界を超えるものであったということがおわかりかと思いますが、もう一度、今度は新共同訳による『ヨハネ』から引用します。 その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。(ヨハネ二〇・一九) 原文では復活したイエスは、「鍵穴から」入って来たとも「出て」行ったとも書かれてはいません。拙句ではそれを、伸縮自在な幽体のようなものと想像して、戯画的に表現してみたのです。 イエスは「預言者」以上の者救い主≠ナあり神(の子)≠ナある、というのがキリスト信仰の基本です。しかし理性にとって、史的イエスが神の子キリストであると宣言することは、いわば「鍵をかけていた戸」をすりぬけるが如き至難の技であり、あちら側――神・イエスの方から何らかの助力、恵みがなければ、なし得ないでしょう。右の聖書箇所は、「弟子たち」がその恵みの体験を喜びをもって受け入れたことを象徴的に語るものではないでしょうか。 少しくうがった見方をすれば、「鍵をかけていた戸」の向こう側、それは旧来のユダヤ教ないしは非キリスト教的世界の象徴とも受け取れます。そして復活したイエスは戸の内側、すなわちイエスをキリストと宣言する新しい啓示の世界との間を、自在に行き来する者ともなったのです。しかもそのイエスは、わたしたちの「真ん中に立ち」皆を祝福し、「平和」を祈る――。わたしはここにキリストによる救いが、一民族の枠をこえて空間的にも時間的にも普遍性を獲得していく萌芽を見ることができるのではないかと思うのです。 さらにいえばイエスは、此岸と彼岸、生と死、善と悪、そうしたわたしたちから見て絶対的二律背反の世界を、あたかも「鍵穴」をすり抜けるように自由自在に出入りして、苦しみや死や悪を相対化した。つまりそれらにうち勝つ者ともなったのです。 以上のように、復活顕現物語には様々な意味が込められているのだと思います。 島 一木<福音短歌 その40>
最も小さな者の 一人に したのは わたしに したのである (マタイ25:40) イエズスは 神殿の 境内で教え 夜は オリーブ山で過ごされた (ルカ21:37) 民は皆 朝早くから 神殿に 集まって イエズスの 話を聞いた (ルカ21:38) 「父よ この時から 救ってください」と言おうか いや この時のためにこそ (ヨハネ12:27) わたしは 上げられるとき すべての人を 自分のもとに 引き寄せる (ヨハネ12:32) <福音短歌 その41>
闇に 追いつかれ ないように 光の あるうちに 歩きなさい (ヨハネ12:35) 光の あるうちに 光の子と なるために 光を 信じなさい (ヨハネ12:36) わたしを 見る人は わたしを お遣わしになった 方を 見るのである (ヨハネ12:45) わたしが 来たのは この世を 裁くためではなく この世を 救うためである (ヨハネ12:47) わたしは 父の 命令が 永遠の生命で あることを 知っている (ヨハネ12:50) 瀬崎 峰永<レント>
小学生のころ買ってもらった小学館の雑誌の付録に、なぞなぞの本があった。 「つかえばつかうほど、増えていくものってなーんだ?」子供はなぞなぞが好きである。 つかえばつかうほど増えていくもの――火かな? 筋肉かな? 脳みそ、いやいや外国語かもしれないぞ――横着な子供は考えるより先に解答をめくる。こたえは「せっけんのあわ」だ。 子供は釈然としない。 石鹸の泡をいくら使ったって増えるはずがない。石鹸の泡が増えるのは石鹸を使ったときで、それだったら消しゴムのカスでもブルドーザーの古タイヤでも、タバコの吸殻でも消費者金融の債務額でもなんだっていえることだ。 インチキななぞなぞの本を閉じて、ようやく子供は考えはじめる。 「つかえばつかうほど、増えていくものってなーんだ?」 * 「まだわからないのか!」 あれから20年ちかくたって、子供(まだ子供)は舟の上でイエスに叱られている。なぞなぞのこたえがまだわからない。 「おまえの心は鈍くなっているのか、目があっても見えないのか、耳があっても聞こえないのか、また思い出さないのか」 イエスは言う。 「5つのパンをさいて5千人に分けたとき、拾い集めたパン屑は、いくつの籠になったか」 子供はこたえる。「12かごです」 「7つのパンを4千人に分けたときには、パン屑をいくつの籠に拾い集めたか」 子供はこたえる。「7かごです」 沈黙のあと、イエスがまた叱る。 「まだ悟らないのか」 * 子供はまだ悟らない。 イエスが十字架にかかるまで、もう時間がない。 見かねた使徒パウロがやってきて、子供に耳打ちする。 「いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この3つ。その中でもっとも大いなるものは、愛だ」 「どうしてわかるの?」 「どこでもいいから教会へ行ってみろ」 * 子供は教会へ行ってみる。 信仰をもった人々が時刻になると集まり、オルガンが鳴りはじめる。 もず田とかいう小柄なおっさんが、面倒臭そうに前に出て司式をする。 讃美歌をうたっている。 「なんてむなしい男だろう」子供は司式のもず田を見て思う。「神さまは愛されたいと望んでおられるのに、こいつは賛美したり感謝したり働いたりするだけだ」 司式のもず田が会衆を代表して祈りはじめる。神の愛をいいことに、ムシのいい願い事ばかりならべたてている。 牧師が壇上に立って説教している間、司式のもず田はエラそうに椅子にふんぞりかえって鼻くそをほじっている。そんな様子を見ているうちに、子供は「愛は愛でしか買えない」という聖テレーズの言葉を思い出す。神さまを愛そうとしない者は、愛で満たされることもない。 「こいつはいい標本だ」 みすぼらしい司式の姿に、子供は思う。 牧師の説教が終わると、司式のもず田はまた壇上にあがって欺瞞に満ちた讃美歌をうたいはじめる。 「あんなの神さまが喜ぶはずがない。いくら賛美されたりお世辞を言われたりしたって、愛されないなら、神さまはおさびしいにちがいない」 子供は、なぞなぞのこたえをようやく悟る。 * 7つを4千人に分けたときよりも5つを5千人に分けたときの方が、残ったパン屑も多かったイエスのパン。 創造のはじめ、そのパンは神のもとに1つだった。そして今なお1つあるきりだ。 イエスはこれを高くかかげ、感謝して2つに裂き、さらにまた裂き、集まった群衆に配られた。 パンを受けた人々は、さらにそれを人々に裂いて与え、親は子に裂いて与え、友は友に裂いて与えて、世界中の人々がこのパンにあずかる。だがこのパンはやはり1つだ。同じパンがほかにあるのではない。たとえ1万人、いや60億人に配って置く場に困るほどたくさんの籠にパン屑が余ったとしても、それはやはり、創造以来たった1つのパンであり、いまなおたった1つのパンであるきりだ。 ただ、使えば使うほど、増えるのだ。 * イエスは最大のパンを人々に与えられた。傷だらけで丘をのぼり、手を釘で打たれ、十字のはりつけ台にかかった。 間に合った子供は、人々をかきわけてようやく十字架のそばに立つ。 イエスのパンをいただいた人々は、罵る声や悪意、嘲笑でイエスに報いている。 「十字架をおりて自分を救ってみろ」 「そうだ、他人をすくったんだ、自分を救ってみろ」 そこにはたえずイエスにくっついていた12弟子の姿もない。病を癒された者、目をあけてもらった者たちの姿もない。 悪意に取り囲まれた奇妙な丘。 ふと、子供はイエスの声を聞いた。 「――渇く」 * 子供はまだ十字架のそばにいる。 もうそこには誰もいない。役人も律法学者も、群集も百人隊長もいない。 子供がひとり、膝を抱えているばかりだ。 ひとりの買い物籠をさげた婦人が通りかかって、声をかける。 「おまえ、ここで何をしてるんだい?」 「パンをくれる人がいないんです」 婦人は買い物籠から無造作にパンをちぎって子供に投げる。 子供はそれを拾ってかじりついた。 「犬みたいだね」 婦人は行ってしまった。 冷たいパンをほおばりながら、子供は考える。 パンがなければ、パンを与えることはできない。 でもパンはない。パンは買わなくちゃいけない。 子供は十字架を見上げた。パンはかつてそこにあった。そして今もきっとそこにあるのだ。子供はくり返し思う。 パンがなければ、パンを与えることはできない。 でもパンはない。パンは買わなくちゃいけない。 そして、パンはパンでしか買えない。 (了) 比田井白雲子<作品>風の ごはんです 空はなんにもねだってこない とんぼう 澄むことだけを考えよう テレーズの「ごめん」の一言に救われて、毎日、なんとか生かされています。今回は、みすずの切手をありがとうございます。みすずの詩には、神や仏も顔負けの透明感がありますね。さっそく切手を机に貼り付けて、記念にして毎日拝むことにしました。 小さき花<山根道公氏の「井上神父『福音書をよむ旅』による聖書講座」 (10)報告>
第4章 ユダヤ教からの訣別 イエスは旧約の完成者ではなく、旧約を超え,訣別したところにイエスの福音(新約)があるという井上神学の中核の部分の話でした。 イエスの公生活(宣教)の始まりはマルコなどではファリサイ派との論争。他の福音書より遅れて成立し、イエスは私たちにとって何なのかを神学的に深めて書かれたヨハネ福音書では「カナの婚礼」です。 遠藤さんの「聖書の中の女性たち」で詳しく取り上げています。 「婦人よ」と言う冷たく聞こえる言葉はアラム語では改まった敬意を込めた呼びかけの言葉であると遠藤さんは述べてます。「私のとき」とはしるしを現す時、つまり公生活、宣教の時という意味です。母マリアは自然に手伝いをしていて、女性的好奇心でワインが足りないことに気づきました。そして、皆に知られる前にイエスに話しました。 カトリックではマリアに取り次ぎを祈るーマリアに私たちのために祈って下さいと祈ります。これはカナの婚礼でマリアの願いによってイエスが最初の力あるわざをおこなったことによります。 「しるし」ー奇跡とは聖書では書かれていません。イエスを通して神の力が働いていること,神の栄光が現れているということ、神の力が特別に働いていることが分かるわざです。現代人にとっては奇跡と呼べるが、超自然現象と言う意味ではありません。 「大酒飲みの大食漢」というイエスへの悪口が残っています。悪口というのは本質をついています。一般の人、特に対立している人たちからどう見られていたのかがわかります。一緒に酒を飲み、楽しんでいるイエスの顔があるはずです。大らかなイエスの姿がヨーロッパキリスト教では描かれなかっただけのことです。 水をぶどう酒に変えたとは何を意味しているのでしょうか。私たちが元々持っている人間の弱さ、肉欲、低い人間性が、キリストに出会うことで高貴さ,高い人間性に変えられていく弟子達も弱虫であったのが、強い殉教者に変わっていきました。そしてそばにいたのがマリアでありました。 「新しいぶどう酒は新しい皮袋に」というのは、新しい葡萄酒は発酵している途中なのでふくらんでしまう、日常的な庶民の誰もがもっている生活感覚のあるたとえです。「新しい」きわめて重要な言葉です。ユダヤ教との離脱、古い旧約の皮袋の中にイエスの新しい福音の教えを入れたのでは福音の喜びが伝わらないと井上神父は強調しています。 イエスの教えの新しさを旧約とごっちゃにしてはいけない、それではそのよろこびがわからない、区別をはっきりさせなければならない。旧約、律法の教えを超克した、古いものとは訣別したー これはマルコ7.14を読むとわかります。ユダヤ教の状況を知らないと当然のように読めます。豚を食べるよりは死を選ぶ人がいたほど、なぜかではなく、神が決められたこと、私たちは守らなければならないという厳しい食物規定がありました。すべての食べ物は清い、食べても神との関係は崩れないと言う教えは文化、制度を破壊するもの、イエスを生かしちゃおけないというユダヤ教指導者の怒りはもっともです。 イエスの教えは「神を愛し、隣人を愛せ」これだけです。この掟に反する思いが人間をけがし、神との関係を崩します。原始キリスト教団でも何を食べて良いか論争がありました。ユダヤ人キリスト者。ユダヤ教の律法を守り、その中でメシアがイエスであると信じるグループと他との論争です。エルサレム使徒会議でペテロがパウロに歩み寄り、ユダヤ人の律法を守らなくても良いということが認められました。こうしてキリスト教は世界へ広がっていきました。 「イエスの生涯」のあとがきでイエスは旧約の完成者と言う立場をとらないと遠藤さんも書いています。マルコ共同体、マタイ共同体のイエス観の違い。90%は重なっていますが微妙なずれがあります。福音書は別々の場所で違う人のために書かれたものです。マタイ福音書はユダヤ人キリスト者へ向けて書かれたものです。ユダヤ人がつまずいてしまわないように、あえて律法の否定を削除して、「手を洗わなくても良い」という律法の解釈の否定の問題に変えました。 自分たちが大切にしている律法を排するためにイエスが来たと言うことにつまずきそうになっているユダヤ人たちのために、山上の説教でイエスは律法を完成するために来たと書きました。とはいえ、律法を守らなくても良いというものは神に逆らうもので地獄へ落ちると言うのではなく、神の国で小さいものと呼ばれるとした、複雑な妥協がみられます。 宝物をいただいて帰りました。
後記にかえて・・・・近況
○井上神父からは、「私の方は、二年以上かかってやっと念願の『わが師イエスの生涯』を脱稿しました。いまは、やるべきことをやったという明るい気分で、体の方もよくなってるような気がします」とのお手紙をいただいています。ほんとうにお疲れさまでした。いずれ一冊となり出版されることを楽しみにしています。 ○わたしの方は、「俳句でキリスト教」原稿の推敲がなかなか進まず、先頃ようやく送稿がかないました。出版できるかどうか微妙なところです。できれば、これまで発表してきた文に、書き下ろしの分を加えて一冊にしたいと思っています。今は、『風』に連載中の「井上神父の言葉に出会う」(10)の仕上げ段階。これも、第一部としてひと区切りをつけようと思っています。その他、サイトの方では、「マルコ伝」「ヨハネ伝」や八木重吉詩の随想などを書き出しています。これもなかなか進みませんが。。。。 ○どれも、どこまでいけるかわからないのですが、「私の詩がいけないとこなされても/一人でも多く基督について考える人が出来たら/私のよろこびはどんなだろう」という重吉の心で、何らか書いていきたいと思っています。
「余白の風」は俳句を中心として、日本人の心情でとらえたキリスト信仰を模索するための機関誌です。毎月発行しています。どなたでもご自由に投稿してください。感想もお待ちしています。ホームページ検索「今を生きることば」 |
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