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「余白の風」-求道俳句とエッセイ 第114号 2005.9 Copyright © 2005 余白こと平田栄一, All
rights reserved. 本誌(1990年創刊)サイトは俳句を中心として、日本人の心情でとらえたキリスト信仰を模索するための機関誌です。毎月発行しています。どなたでもご自由に投稿・感想をお寄せください。(採否主宰一任)
目次 『俳句でキリスト教』―求道俳句をめぐる心の旅―出版にあたって:平田 栄一 『俳句でキリスト教』―求道俳句をめぐる心の旅―出版にあたって:平田 栄一
今年一月に井上神父が、文字どおり「命をけずる思いで書き上げた」、待望の名著『わが師イエスの生涯』(日本キリスト教団出版局)が刊行され、三月には山根道公氏の大著『遠藤周作 その人生と『沈黙』の真実』(朝文社)も出版されて、どちらも好評を得ています。そして六月末、わたしの方もようやくに、十年来の原稿をまとめた『俳句でキリスト教』(サンパウロ)を上梓することができました。 井上神父が「風の家」を旗揚げしたのが一九八六年春、今ちょうど二十回目の秋を迎えています。僭越な言い方をゆるしていただけるなら、この区切りの年に、それぞれ心血を注いだライフワーク的著作が同時に出版できたということ、そこになにやら偶然とばかりはいえない、新しい風≠感じずにはいられません。 振り返れば、井上神父が、その後の方向を決することになった『日本とイエスの顔』を上梓したのが一九七六年、今のわたしと同じ四九歳の時でした。その刊行までの長い準備と並々ならぬ苦労については、『余白の旅』に詳述されています。 そうしたわが師≠フ大業とは比べるべくもないのですが、長い間わたしなりにあたためてきたテーマ=俳句を通して日本のキリスト教を考える=を思い通り企画出版できたことに、感慨と感謝の気持ちでいっぱいです。 本書は、タイトルに「俳句で」と銘打ったとおり、中村草田男ほか有名無名を問わず九十余句にあらわれた日本的感性を探りながら、これからのキリスト教を模索しようとするものです。日本人であれば、俳句にとくに関心のない方にも十分共感いただけるものと思います。 構成としては、所々に井上神父の言葉を折り込みながら、今後日本のキリスト教の有力な方向性として、井上神学のすすめ、という結論を提示しています。しかしこの構成と結論は、当初からわたしの頭の中で準備されたものではありませんでした。 わたしが井上神父から洗礼を受けたのは一九八一年、そして「風の家」が設立された一九八六年に最初の句を発表します。実はこの五年間が、受洗前とはまた違った意味で、わたしにとって大きな精神的試練の時期だったのです。最近、書庫を整理していて改めて気がついたのですが、この時期に書きためた黙想ノートが二十数冊に及んでいました。他の時期と比べ際立って多いノートの量自体が、福音の恵みのなかにありながらも、様々な迷いの連続であったことを物語っています。井上神父との出会い以降、わたしの信仰的歩みは、けっして直線的なものであったわけではないのです。これらの黙想ノートをいま読み返しながら、当時の気持ちを思い起こすと、その迷いとはひと言でいえば、頭のなかで勝手に理想化したキリスト(教)者に自分自身が、ほど遠いことに対する煩悶であったように思います。 その最中、俳句に出会ったのでした。俳句に接したときの無条件の和みと、キリスト教に対する構え、この対照的な感覚はどこからくるのか、わからないままに『聖書』と『山頭火句集』を交互に読み、また祈る気持ちで自らも実作するようになりました。 そうした実践のなかでわたしは、右の理想主義的キリスト教という発想も、そこへ向かって邁進しようとする道徳主義的努力と挫折と、そして煩悶も、根本は欧米的キリスト教を無意識に第一と思い込んでいた自分に問題があることに、ようやく気づくようになったのです。同時に、身近に接しながら、井上神父の言葉が頭での理解に留まっていたことを痛感し、愕然としました。 以来、キリスト教俳句ほか様々な作品を鑑賞し、自らも句を詠みつづけることによって、次第に井上神父と聖書の言葉が、頭から心へ下りていくような体験、喜びをしばしば味わえるようになっていきました。わたしにとって、俳句を祈りととらえる「求道俳句」の実践は、聖句と井上神父のメッセージが少しずつ身に沁みていく、いわば血肉化の過程だったように思います。それとともに、あの五年間の煩悶がいつしか氷解していったのでした。 もう一点、これまでの求道俳句評を一冊にまとめていく過程で、気がついたことがあります。それは、右に述べたように、わたしにとって俳句は聖書や井上神学の学びを補完するものであったわけですが、それ以前に実は、井上神学自体が本来、俳句的であるということです。今そのことについて詳述するいとまはありませんが、たとえば、本誌(「風」)連載中の拙文「井上神父の言葉に出会う」において、井上神学の文学性を強調し、その理解には「詩心が必要」との見方をしているのは、根底にそうした思いがあるからです。 本書でも触れていますが、俳句における「軽み」の問題は、井上神父の説くアッバ神学に対応し、また一句における季語の効果は、即自然的な井上神学に通じるものがあります。いずれ機会があれば、こうした井上神学の俳句性についても、まとめてみたいと思っています。 「おれが、おれが」と前に出ようとする自我をともかくも脇に置き、「イエス様につきそわれ」「ふわっと」アッバの御手にすべてをおまかせすること――「南無アッバ」の心を第一とし、その一点にしばしば戻ること、現在のわたしは、井上神父の教え、祈りの勘所をそのように受け取っています。 今後とも句心をもって道を求め、聖書と井上神父の言葉を反芻し、味わい、楽しんでいきたい――俳句は道楽――と思います。(『風』2005年夏秋号より)
2004年余白(栄一)句を鑑賞する: いう
人の子の肉を食らいて今朝の夏石垣りんの「父のはらわた」を思い出します。私が踏みつけ、食い荒らした方がいて、この日の夏を迎えることができている・・・。 麗らかに最低体重記録せり
身体って思うようになりませんね。どうなっちゃうんだろうと思うような変化をしていくときがある。ままならぬ我が身。そんなときにも陽気はうららか。 外海の沈黙の碑「空がこんなにも青いのです」という言葉も思い出されました。 閏年二月晦日を言祝ぎぬ
讃美を持って暮らしたい、何か得をしたような2月の29日。 年の暮獄中書簡に改行なし
刑務所から出てきたばかりの人の話を聞いたことがあります。外に出て、まず、色があふれているのでびっくりしたのだそうです。単調すぎる生活。あまりにも早い一日。人恋しさ。そんな生活の年の暮れに手紙を書くとしたら、やはり改行なんてしていられない、伝えたい思い。 十字架に二拍一礼初御空
十字架に柏手打てば冷夏かな
学生街の教会だけあって、国外から来ている人も多く、祈り方、讃美の仕方はいろいろです。聖歌も時々外国のものが取り入れられています。その国ではこんなリズムやメロディーで讃美するのだろうかと想像します。手の組み方、祈りの姿勢もさまざま。 日本のミサでは手を合わせて祈る人が多いのですね。初めて預かったとき、じんと感動しました。私たちに身についた祈りの姿勢です。戻ってきてから、私も手を合わせて祈るようになりました。 神無月神を忘れて病み呆け
意味深な月の名。出雲では神あり月というのだそう。 罪というのは、神に背を向けている状態だと聞いてなるほどと思いました。目の前のことに必死で、ぽかんと「神無し」の時期ができてしまう自分に気付くとき。 異動覧飽かず人生収支よみ
年度末の異動覧。知り合いの名前を拾いながら、納得、驚き、不審、心配・・・。さまざま心に思い描く。いつか交わり今は遠くなった点々を結び付けて。 恥と死と晩夏せめて燃えてたし
プロテスタント出身の人も多かった入門講座では、やはり、「煉獄」は注意深く扱われたトピックでした。それは、そういう場所があるとか罪人が火で焼かれるとかではなく、神様の前に立つときの「清め」というとらえ方なのですね。 聖テレーズの詩が心をよぎりました。天からの炎をうけて私は水滴のように一瞬に蒸発する・・・という・・・。 それは怖い罰なんかじゃなくて、神様が私たちを受け入れてくださるときの計り知れない愛なんじゃないだろうか。 すさまじき系図を抜けて五月晴私が、キリスト教ってすごいなと思ったひとつにイエスの系図があります。そこには、清く正しい人だけが書き込まれているのではなく、惨めさや罪にまみれた人の名も書き連ねてあるのです。私が書くのだったらこの人は削除したいと思うところが、聖書にはあからさまに書かれているのが不思議でした。(弟子たちの裏切りの部分もそうです。) しかし、そういった、人間のすべてを貫いたところに、救い主が生まれた。全てを受け入れて人となってくださった。これはなんて大きな恵みなのでしょうか。 信不信問わず御国へ春の丘
究極にはそうじゃないのだろうか。神様はそんなにけちじゃないと思うんです。 書架巡礼五月半ばの言霊よ
言葉、言葉、言葉の海。きっちりと詰まった本棚から今にもこぼれ落ちんとする著者達の声。こんなにも読む本がある!めまいを感じる五月です。 春一番イコンに右脳洗われて
1000の言葉で語ることなど、一気に吹き飛ばす一枚のイコン。視覚に訴える想い。考えるのではなく実感する信仰。五感に感謝。 誠実さと批判精神−8/21日曜礼拝説教より:土屋博政牧師
8月21日の日曜礼拝の説教題は「誠実さと批判精神」(マタイ7:15−23)でした。この箇所の要点は、真の預言者と偽預言者の違いがよい実を結ぶかどうかでわかるというものです。どんなに主の御名によって預言をしても、神の御心に沿わなければ受け容れられない。つまり、どんなに個人的に一生懸命やっても、結果的によい実を結ばなければ、よしとされないという事です。 日本の最高峰の哲学者、西田幾多郎が書いた著書『善の研究』の中に、絶対的善は人格の実現であり、この実現は“誠”、あるいは“至誠”において生じる、と記されております。しかし明治大学の哲学の教授、中村雄二郎氏の『宗教とはなにか』(岩波現代文庫)によると、この“誠”や“至誠”を重んじる思想には、他者や制度についての考えがないので、問題があるのです。精一杯、一所懸命にやったのだから“良い”、あるいは“善である”という“至誠”の思想は、江戸時代からの儒教の伝統的精神ですが、この伝統と、戦後自分たちの戦争犯罪行為に対して、ドイツと異なり、日本が充分な償いをしないことと関係しているのでないか、というのです。多くの日本人は、国のために戦ったのだから自分たちが責められる理由はないと考えます。西田幾多郎の友人であった鈴木大拙も、戦前彼の著書『日本的霊性』の中で、「南無阿弥陀仏」と唱えて敵を攻めていった兵士を褒め称えました。そして戦後になっても、鈴木大拙は戦争中彼の言葉によって慰めを得た多くの若者が、戦地に赴き、他のアジアの国々を侵略したという事実を直視せず、とうとう最後まで自分の言動に対して、公に反省の言葉を述べることはありませんでした。その時一所懸命にやったのだから、それでよいということでしょうか、鈴木大拙の思想や考えには、攻撃された側、また殺されていった相手の人々に対する思いは無かったようです。その理由は、禅の思想が徹底的に“主観主義”であるからです。 そういう訳で、私たち日本人には“誠実さ”だけでなく、“批判精神”も必要なのです。自分の誠実さが相手に対してどういう結果をもたらすのかと問う心が必要なのです。誠実さが全てではないというのが、この日の説教の主旨です。偽預言者が“偽”とされるのは、何も嘘をついているからではありません。どんなに自分が良かれと思ったことを神の名によって熱心に語ったとしても、人々によい結果をもたらさなければ、それは本当の預言ではないのです。結果で判断されるのです。ですから誠実さと共に、自分の考えを反省し、批判する心を持つ必要があるのです。主イエスがルカ伝17章10節で弟子たちに言われたように、どんなに精一杯やっても、「ふつつかな僕です。すべき事をしたに過ぎません」と謙虚に言う心が必要です。常に「行き届かない」と言う思いを、また反省する心を持つ必要があるのです。 (編集注:つちや ひろまさ=慶應義塾大学経済学部教授 http://www.econ.keio.ac.jp/info/hiyoshi/profile/tuchiya.html 作品3−140
文月につきるまばらの蛍かな いうひとつぶの蛍の光の目指す空 〃朝まだき祈りの道や芝香る 〃花園に露踏み分けてしかあれど蚊に食われたる時ぞ悲しき 〃皮むけば笑顔こぼるるまきびかな 〃夏の霧肌に染み込む野行かな 〃朝の空高く受け入る主の変容 〃雲からの声に秋虫唱和せり 〃幾万の霊(たま)引き上げて空高し 〃右手は夫に 左手は息子に 母は今宵も磔刑か 厳禁争いを ゆるしに変える 奇跡かな yohannnaいつからか 蟋蟀も 真夏に 鳴き始め 厳禁浦上の記憶ガラスに透ける風 いう朝ミサのチャペル出でれば雨上がる甘き野の香に感謝今日の日 〃投げかけて言葉返らず虫の鳴く夜部屋にぽつんと取り残されて 〃師とかわす被昇天祭悲喜の酒 栄一被昇天そそがる悲愛酌み交わす いう蟋蟀鳴き 秋茜飛ぶ 終戦60年前日 厳禁生き急ぐ虫死に急ぐ雲敗戦忌 栄一鐘塔に集うつばめの帰る朝 いう天国は旅のまにまに秋燕 栄一カナダから来る風とか涼新た いう子なければ口をつぐめりきりぎりす 〃きりぎりす男だったらいいものを 〃ニュートラルな自然など無し山笑う 栄一投げかける夏木の影や夕陽入る いう道真直ぐ流るる木々の葉月かな 〃はらだたしきもの古書店に読みたき本の下巻のみ 〃修服や秋澄む乙女の祈る朝 〃テレジアのバラに差す日や秋の朝 〃召命 神の力に おどろく日 yohannna親戚の 子の召命 神のわざ 〃晩くまでひねもす鳴くな油蝉 道草空に、こころゆだねる 白雲子風鈴、こうして静かな祈りの時間持ち 〃空気もいのってくれている 〃
(福音短歌 その54) あなたたちは 泣いて/悲嘆にくれるが/その悲しみは 喜びに変わる(ヨハネ16:20) 島一木子供が生まれると/喜びのために 産みの/苦しみを忘れてしまう(ヨハネ16:21) 〃あなたたちも 今は/悲しんでいるが わたしは/再び あなたたちに会う(ヨハネ16:22) 〃あなたたちの 心は/喜び その喜びは/取り去られることはない(〃) 〃願いなさい/そうすれば かなえられて/心は 喜びで満ち溢れる(ヨハネ16:24) 〃
(五行歌) ぜいたく言ったら/きりないと/平凡な結論に/落ち着いていく/秋 栄一りすみたい、と/泣いたあの秋/りすのように、と/思えるような/この秋 いう信仰とコミュニティー:いう
>何か、理屈をこえて、自然体の日本人キリスト者に出会ったような気がしました。(前号余白言) こちらでのカトリックの入門講座の第一回目の質問は、「あなたにとってコミュニティーとはなんですか」「あなたは教会とコミュニティーの関係をどのように考えていますか?」でした。 途方にくれてしまいました。結局、「すみません、私は教会をコミュニティーとして考えたことがなかったので、アイデアが浮かびません」と答えました。 教会は神様の話を聞きに行くところとしか思っていませんでした。 プロテスタントで受洗当時は学生で一人暮らしでしたし、その後も仕事の都合で引越しを繰り返したなんとなく根無し草の私は、地元密着の教会生活を送ることができませんでした。 また、身近にクリスチャンがいないために、「信仰生活」というものを見ることもほとんどない・・・。 いわゆる「頭ではいる信仰」しかもっていませんでしたし、それ以外があるなんて考えてもみなかったというのが本当です。 入門講座を含めてこちらの教会に3年通ってみて、やっと冒頭の質問の意味がわかってきました。いまだ教会は強力なコミュニティーとして存在しています。人と人、生活が密接に関っているのです。 ある意味「孤児」状態のクリスチャンだった私ですが、そういう人は、かなりいるのではないかと思います。(クリスチャン・ホーム、長崎のような場所、ネットワーク作りが熱心な教会などの特別な環境でなかったら、教会/信仰をコミュニティーとして考えることはとても難しいと思います。) その辺が日本のキリスト者にとって大きな課題になるかもしれませんね。個が一箇所でがんばっていても限界があります。信仰は受け継いでいくものですし。 そう思うと、カトリックの代父母の制度は大きな意味を持ってきますね。聖人たちも御国にいる信仰の家族ととらえて良いと思います。彼らに習うものはたくさんあります。それから、最近のネットが果たしている役割は大きいと思います。クリスチャンコミュニティーとして機能していると思うのです。 >こうして井上神父と、その周辺に集う人たちとの出会い、そして俳句との出会いが、頭で信仰を理解し、構えようとする私の気持ちを、徐々にほぐしていったのだと思います。 「行動が伴わなければ・・・」と聖書にもあるように、やはり生活と信仰は別々に切り離すものではありませんよね。記事を読んで、いろいろなことが思いおこされました。 (http://yohaku5.blog6.fc2.com/blog-entry-56.html#commentより) 講演「人間 山頭火と旅」について:小さき花
村上護氏講演会[人間 山頭火と旅」が開催され,俳句好きの利用者さんのガイドヘルプとしてご一緒しました。200席ほぼ満席。山頭火の人気がわかります。 妻子を捨て放浪、自堕落な人という評価と一方,自由人、芭蕉の再来,俳聖という評価があります。 フォークシンガーパウロ高田渡さんを思い出してしまいました。 俳句の話題よりも旅に生きた人間,山頭火の生き様,歩くことをじっくり取り上げた講演会でした。 明治15年12月3日山口県防府市生まれ、昭和15年没、大正15年 妻子を捨て、一鉢一笠の行乞放浪、流転の旅へ。なぜか15という数字に縁がある人です。 「解くすべもない惑ひを背負うて行乞流転の旅に出た」との前書きで 分け入っても 分け入っても 青い山ロマンチストな山頭火の句と思っていましたが,前文を読むとくのイメージが変わります。 自然と一体になり,自己にいつわらず,自由に一筋の道を詠いつづけた彼は,自由律俳句誌「層雲」に出句し、生涯にわたり約八万四千句の句を残しました。 酔うてこおろぎと寝ていたよこれも高田渡さんの歌を思い出します.でも親族は酔って道ばたで寝る情景を見て嫌がったと、これもわかります。 歩かない日はさみしい飲まない日はさみしい作らない日はさみしいひとりでゐることはさみしいけれど、ひとりであるき、ひとりで飲み、ひとりで作ってゐることはさみしくない。
さるすべりが山頭火にひかれた句です。「歩く」のは仏教での修行に結びつくそうで、感覚がとぎすまされるそうです。 一人で歩き,作る旅でそこには仏という同伴者がいるのでしょうか。 ―――― 俳句は短い言葉という枠を越えて自由に読み手をひきつけます。 余白さんの「俳句でキリスト教」を読んだとき,聖書深読と同じようにみ言葉を味わう醍醐味を楽しませてもらいました。 (http://plaza.rakuten.co.jp/sarusuberi/diary/200507070000/より) 死んだ小鳥の肉:もず
あらためて昨日の福音書の日課を読んで思いました。 「自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る」(ヨハネ12・25) 吉川英治の「宮本武蔵」に、こんな話がありました。 嵐が来て、武蔵とその童弟子伊織の仮庵が吹っ飛んだ翌朝、武蔵は村の復旧を指図しに出かけ、留守番をいいつかった伊織は、死んで落ちていた小鳥の毛をむしって、肉を火にあぶって食べながら、帰りを待っていた。 やがて武蔵は帰ってきた。その後、村の人たちがぞくぞくとやってきた。お礼にと、食べ物もいっぱい抱えている。 「死んだ鳥の肉は不味かった。自分だけの身を考えて、あわててそんな死肉で腹を膨らませてしまった伊織は後悔した。――自分を捨てて、大勢の為に考えれば、食物はひとりでに、誰かが与えてくれるのだということを覚えた」(吉川英治「宮本武蔵」) どうして聖テレーズの霊性に打たれ、その魂をのぞいていながら、ぼくらは彼女のように生きることができないのでしょうか? テレーズとぼくらとの決定的な違いは、神の国に対する期待の大きさ、だと思います。 テレーズはここに最も大きな期待をかけていたし、そのために「島流しの地」を貧しく生きることをはっきりと選んでいました。 ぼくたちは、神の国も大事だけれど、この世にたった一度与えられた生を軽んじることなんてできないし、ここでも精一杯、こころ豊かに生きたいと考えます。 自分なりの精一杯うつくしい花を咲かせて、それから散りたい。 しかし結果を見たときに、この世で精一杯うつくしい花を咲かせるのは、この世での労苦に報いを求めず、視線を上にあげて生きた人のほうではないでしょうか? 美しさとは、欲を満たすところにはなく、むしろ空腹のときに生じるものなのかもしれません。 人生の一回性にこだわるあまり、ぼくはこれまで、いつも死んだ鳥の肉で腹を膨らませてきたように思います。 もっと神の国に、熱い期待を寄せていいんじゃないか。 神の国のとびらは、きっと空腹時の行いのなかに、見いだせるのではないか。 と、今日はお仕事しながら、そんなことを考えてました。 (http://yaplog.jp/mozu_san/archive/232#commentsより)
平田栄一既刊:エッセイ詩集;『今を生きることば』(女子パウロ会 94年)、『やわらかな生き方』(サンパウロ 96年)、『人の思いをこえて』(ヨルダン社 99年)、『雨音のなかに』(ヨルダン社 2000年)など。 ★既刊サイン本直売も承ります★ |
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