------- 平田栄一サイン本 トップページへ |
求道俳句会誌「余白の風」第115号 2005.10 Copyright © 2005 余白こと平田栄一, All
rights reserved. 本誌(1990年創刊)サイトは俳句を中心として、日本人の心情でとらえたキリスト信仰を模索するための機関誌です。毎月発行しています。どなたでもご自由に投稿・感想をお寄せください。(採否主宰一任)
目次:虎さんほんとに可哀そう:いう 求道俳句会9月作品 114号の感想 まえがき&あとがき:今号はとくに、信仰・ネット・俳句の友で、アメリカ在住の「いう」さんに原稿大活躍していただきました。ありがとうございます。 タイトルあるいは俳句の項目でお気づきかと思いますが、本誌を求道俳「句会」誌と改めて銘打ちました。 文学が日本人にとっては無意識に宗教の代役になっている、という論はよく言われているところで、俳句などももともと求道的な要素は強いと思います。 この「求道性」をなんらか意識しながら作品をつくる、わたしたちの方向の独自性はこの点にあるのではないかと思います。 そのために集う「場」がこの「句会」であることを、もう一度確認したいと思います。(余白) 虎さんほんとに可哀そう:いう代母さんのスーザンとあったときのこと。ご好意で送っていただいた井上神父さんの2冊の本の話を、私は興奮気味に伝えていました。 神父さんはフランスでの修道生活を経て帰国し、司祭になられたことを説明。今はキリスト教の日本文化内開花のためにお働きになっていることを伝えて、詩集「風の薫り」と「日本とイエスの顔(英語版)」を見せました。 「どんな詩をお書きになるの?」と聞かれたので、私は詩集を開きました。そこには「虎さんほんとに可哀そう」が・・・。 私のとつとつとした訳で、詩のどこまでが伝わるのかわかりませんでしたが、英語にして読んでみました。 虎さんほんとに 可哀そう 親兄弟から離されて こんな小さな檻のなか たったひとりで淋しそう 昨日の夢はなんだった・・・ 最後まで読んだあと、スーザンはぱっと立ち上がり、本棚まで行って一冊の本をとってきました。 「今の詩を聞いて、これを思い出したんだけど・・・」と。 それはウイリアム・ブレイクのThe Tyger。わざとTigerをtygerとつづったタイトルです。 Tyger! Tyger! burning bright In the forests of the night, What immortal hand or eye Could frame thy fearful symmetry? ... 詩の主題は「虎さん・・・」のほうは、虎への共感や寄り添う気持ちであるのに対して「The tyger」が虎という生き物への感嘆のような気がしますが、やはり虎に問いかけるという形がとても似ていて、興味深く読みました。 ウイリアム・ブレイクのほうは、別のところに「子羊作ったその方(神)がおまえもそうして作ったか」(byイウなんちゃって訳)とあって、なんだか違いが際立ってるような・・・。示唆的・・・。 その後、井上神父がヨーロッパでの神学のありかたに違和感を覚えたことを、(もう、本当にめちゃくちゃな英語でどれくらいちゃんと伝わったか!(><)ああ、もう少しましにしゃべれたら!)いろいろ説明。 「それはよくわかるような気がする。神学って言うのはやっぱり時代や人によって発展していくものだから・・・、」とスーザンがひとつの話をしてくれました。 よく公共ラジオに出るリチャード・ロドリゲスという人は、父親から実験的な英才教育を受けた人なのだそうです。そして彼は非常な秀才であったのですが、あるとき、精神的な挫折を経験します。長らくそういう時間を過ごしたある日、彼は太陽の光に驚かされる時を迎えたそうです。 スーザンいわく、彼はそれまでにも、太陽の大きさや地球までの距離や光線はどんなものだとか、そういうことは知識でわかっていたけれども、初めてそのとき太陽の光をあびて感動したのね、と。 私はガーン(ToT)、という気持ちでした。なんだか、著書の中で繰り返し井上神父が書いている、知識として「知る」ことと体験として「知る」ことは違うというのを、スーザンの口を通してもう一度教えてもらったような気がしました。 私はトーマス・アキナス(←最初、「秋茄子」って変換されちゃった!)が幻を見た話を思い出しました。 「あのトーマス・アキナスが、ヴィジョンを見た後、著作をもうすっかりやめてしまったってどこかで読みました」 「そうなの?」 「あれほどの神学者がすっかり書くことをやめてしまうような幻ってどんなものだったんでしょうね」 トーマス・アキナスが詩人だったら、そのことを詩に残したでしょうか・・・? 本当に深い宗教体験というものは普通の言語にはできない、ということも井上神父の本に出てきます。 詩の力って偉大・・・、とおしゃべり。スーザンは次々に本を取り出して(これは私とそっくり!)「それはこれと関係あるかもしれない。この本にはこういうことが書いてあるの」と。 薦めてくれた詩に関する本(鉛筆でいっぱい線が引いてあった)をめくっていると、なんと紀貫之の古今集の仮名序が英語になっているのに遭遇! 「スーザン!」と叫んで、「これはこの井上神父の本に引用されている文なんですよ! 何回も著書の中に出てくるんです」 「本当?」 と本をめくって確かめる二人。 (詩の本には、私の好きな和泉式部の歌や、この間の狂歌の元の小町の歌が英語になって載っていて、それに関する解説もついていたのでした。芭蕉の句も・・・。もちろん借りました。今度は英語でも狂歌作りだっ!(^^;)) スーザンは、その後、「日本とイエスの顔」の前書きを読んで、「イウ!これはすごく大切なことだと思う。私、この本を読みたい」って。私は日本語版を持っているので、また会うときまでに読んでおきましょうということになりました。(^^)! 井上神父が遠藤周作の小説の登場人物のモデルになっていることも伝えました。するとそれもメモしている。私は「深い河」の英語版をなぜか(^^;)もっているので、今度貸すことを約束しました。 代わりにスーザンからはたくさんの詩の本、詩の子供への教授法の本、バチカンに関する本などを借りました。 もち切れないのを見て、スーザン、大きな箱を持ってきた!(^^;) 読む本がたくさん! 「若くして死ねません、私。」 「私も同じよ!」 にやりと笑う二人。 こんな代母さんとめぐり合わせてくれた神様、ありがとう(TvT;) 読書だ、読書だ〜!!まずは井上神父の「日本とイエスの顔」じっくり読みますよ〜!!(^o^)! 求道俳句会9月作品
マタイ伝20章「最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていた。」より一句 返信待ちまたハガキ書く秋の窓 栄一
待つ宵の窓に差す明りほのかかな いう
余白:拙句は昼の、いうさんは夜の句。見えるものは違っても、待つ相手は同じかも。 虫の音に虫の音重ね人黙る 栄一仲秋の名月しかと脚白き 〃てんでに鳴きバッハを凌ぐ夜の虫 〃いう:本当、それぞれの虫にあふれ出す秋の気持ちにはかなわない。 また暑さ戻りて思考逡巡す 栄一
ルカ伝8章「隠れているもので、あらわにならないものはない」を黙想しつつ、埼玉県菖蒲町に散策して2句 赤白と咲き移りゆく萩の花 〃根に近き黄蝶幽かな息づかい 〃いう:こちらも秋の蝶がよく見られるようになりました。朝晩だいぶ気温が下がっているのでどうしているのかなどと思いますが、だからこそいじらしく命をつなごうとしてるのかもしれませんね。 ルカ伝8章「わが母とは、神の言葉を行う人」より 秋雨に御言葉近き交差点 〃
聖マタイ使徒福音記者祝日 聖霊の降るまで野分マタイ伝 〃
いう:イエス様が招いてくださるまでのマタイの心のざわめきを思わせますね。 ルカ伝9章9節「・・イエスに会ってみたい・・」より 秋冷やうわさの主は袈裟懸けに 〃
ルカ伝9章18節「イエスがひとりで祈っておられたとき、弟子たちは共にいた」より(赤羽教会にて)秋分や主の先唱に主の祈り 〃 ルカ9:43-45「言葉」より 降っては聞き止んでは聴く秋のロゴス 〃
周辺の気軽さ暗さ秋怒涛 〃
マタイ21:31-32「父の望みどおりに・・・・信じた」より 信頼こそ大業なりや難民日 〃
小さいものこそ偉大(ルカ9) 今朝出勤途中、菖蒲町の見沼代用水沿いに出たところで、おびただしいトンボの群れに遭遇。 よく見ると、ほとんどのトンボが前後につながっている。一斉交尾??! それが、菖蒲から羽生まで、10キロ近くにわたって同じ状況がつづく。すごい!いったい今日は何の日なのか?彼らはどう申し合わせたのだ?! ネットで調べたら、こんな文章が見つかる。 http://www.nextftp.com/y_misa/tera/kaki_b024.html まさに同じ光景を、寺田寅彦がずっと昔に書いていた。 どこかで見た読んだ文章だと思ったら、出典を見て納得。以前読んだ『柿の種』(岩波文庫)からの短章だった。 こんな「俳文」が書けたらいいな、とあこがれていた本である。 一斉に蜻蛉つながるたなごころ 栄一
イエスはエルサレムに向かう(ルカ9) 一夜明け、あれほどおびただしかったトンボの群れはどこにもなく、かわりに彼岸花が咲き誇っていた。 聖堂を千手に抱く彼岸花 〃
いう:本当だ。彼岸花の細い花弁の一つ一つが、差し出だされた腕のようですね。いなくなった、前日のたくさんのトンボたちのイメージも重なりますね。 ネット喫茶からです。立ち寄ったごあいさつに、回文句をおひとつ。 糸瓜の蔓鳥らふらりとルツの町へ 一木
(へちまのつるとりらふらりとるつのまちへ) 古いノートから見付けた句です。キリスト教回文句なんて一時期考えたんですが、回文は、難しいです。ではまた。 余白:回文は、凝るとけっこうはまる、という話を聞いたことがあります。ボクは作ったことがないけど、うまいもんですねー。 『俳句でキリスト教』を喜んで拝読して居ります 私も仲間入りしたくなりました。感情の儘の句です。 鶺鴒の足もと叩く雨飛沫 末子
余白:「鶺鴒」というと思い出すのは、海藤抱壷という俳人です。拙著にも何句か紹介しましたが、山頭火の東北の親友です。 山頭火が彼を見たとき、「鶺鴒のような人だ」と評したといいます。 何か飄々として、さわやかな、それでいて優しい人格だったのでしょうね。 道に出る芋虫怒髪天を突き 〃
余白:秋雨の切れ間に、芋虫が這い出ているのを私も見ました。うれしいのか、避難しているのか、図りかねました。 いう:末子さんこんにちは。「いう」と申します。 一振りの鎌に飛び立つ草雲雀 〃
余白:人間の営みと自然との共鳴。「一振りの鎌」は毎日の小さな仕事にコツコツ勤しむ態度の象徴。この「草雲雀」は、驚きというより、祝福の羽ばたきなのじゃないだろうか。 秋灯火「こころ」読みつつ胸痛み 〃
余白:いつまでも古くならない夏目漱石の名作ですね。高校の教科書によく載っていたのですが、この歳になってようやく味わえるように思います。 敬老日嫁の笑顔とギフト券 〃
マタイ28・20を頭に刻みました。 余白:いいお嫁さんですねー。今や男の子はみんな実質お婿さんに行っちゃう時代ですよね。うらやましい! そう拙著にも書いたように、マタイ伝はなかなか読みにくい福音書なのですが、「ともにいるイエス」を繰り返している点は、すばらしいと思います。 感謝を込めて 文字は青秋空渡る便りかな いう猫に読み聞かせる便り秋日和 〃秋分の声に見上げる空は青 〃秋分の日にはがきを受け取りました。何度も何度も読み返して・・・(^^)下がりがちだった口の端(^Λ^)?も自然引きあがって(^v^)!季節は秋へ秋へ。深まる秋を新しい目で見つめたいです。 余白:連作、いいですねー♪ 文字も青、イメージも青、そう複写ハガキも青いカーボンでしたね。 わたくし、悪筆に昔から悩んでいましたが、なんだか最近はそれも個性でいいや、と思い直しております(笑)。 下手な文字を「何度も何度も読み返して」くださったとは、恐縮、かつうれしいです。ありがとうございます。 朝焼けの後の雨 秋霖や誰の上にも慈しみ いう
(ルカ8:7-9) 余白:もしかして、参照は(ルカ9:7−9)かな? とすれば、この短いペリコーペには、「ヘロデ、洗者ヨハネ、エリヤ、昔の預言者」いろいろ出てきますね。 掲句からは、これらの人たち「誰の上にも」時代を超えて、アッバの「慈しみ」のまなざしが注がれているのだ、という主張を読み取れます。 とくにヘロデは、「戸惑い」ながらも、「イエスに会ってみたいと思っていた」とあります。この時点で、ヘロデ自身には好奇心以上のものはなかったかもしれません。 しかし、「あの狐」とイエスにあだ名され、またヨハネ殺しの罪を犯しつつも、イエスにかかわらそうとする、もう一段上からのアッバの「慈しみ」のまなざしが、まったく注がれていなかったとは、簡単に言えないのではないか。。。 二分法的な救済論の是非を考えさせられる句です。 いう:あ!はい、その通りです。間違えて書き込んでいました。(^^;) この福音箇所の朝のミサ、「この時点でヘロデもイエスに招かれていたのです。」と神父様がおっしゃったのを聞き、その通りだ、と思いました。 覚書には、「秋霖や誰の上にも慈しみ」の後に、「ヘロデの上にも私の上にも」と下の句をつけてあります。 いつもいつも招かれながら、迷いとそむきをもってる自分が、ヘロデに映っていたのです。 コメント本当にうれしいです。ありがとうございます。 はじめまして 送っていただいた「俳句でキリスト教」を少しずつ読んでいます。 俳句の作り方自体おぼつかないのですが。。。 まっすぐな瞳に押されし秋の夜 クレッセント
寝る前にときどき聖書を開いたりしていると、こどもが「それ何の本?」 「神様のこと書いてあるよ」 「神様ってお空にいるんでしょ。何て書いてあるの?・・・etc.」 質問攻めにされますが、ギリシャ神話やら閻魔大王やら七五三やらいろんなことがごちゃまぜになっている娘にうまく説明できずにおろおろしている私です。 余白:こんにちは。ようこそおいでくださいました。クレッセントさんのブログも、ふむふむ参考になりますねー♪ぼくもお弁当作り趣味?(強制)なもんで。。。 さて、掲句、この「まっすぐな瞳」は、直接にはお子様のものでしょうが、その純な瞳の奥には、イエス様がおられるように思います。彼女の瞳を通して、「アッバってどんな方だと思う?」と語りかけている。 ちょうど今日の福音は、「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」(ルカ9:18-22)という箇所でしたね。 さびしくてやがて食欲の秋かな 道草
秋の訪れを感じた時は訳もなくさびしい気持ちになったりするけど、いつの間にかあれもおいしそうこれも食べたいと、食欲の秋になってしまう・・・ 余白:この気持ちはよくわかります。寂しさに対する反動でしょうか、どこかでボルテージを上げようという無意識が働くのかもしれません。 私にできること なほ招く宴に捧ぐる小菊かな いう
(21日 聖マタイ使徒福音記者) 余白:何度拒否しても「なお招く」アッバ! その喜びがわかったとき、どんな小さなもの(小菊)でもいいから心を込めてささげたい。 何惜しむものなし灯せ秋燈 〃
(自戒を込めて) 余白:そう、私たちはつい持っていると思うものを出し惜しみしてしまう。本来的に自分のものなどないのですがね。 夜明け近し十六夜兎は宙返り 〃
(元気出したいです) 余白:元気なウサギさんですね。写生的にはホントにひっくり反っているのでしょうか? 昼夜二つの思いを持つ自分、、、そんな深読みもできます。 こちらにお引越しとか・・・ ICFからこちらに求道俳句はお引越しとか・・・ こちらにこれから投稿させていただきます。よろしくお願いいたします。 夏過ぎて 月も涼しき 虫の声 -
yohannna
余白:どぞどぞ、これからもよろしくです。 ふんだんに季語を取り入れて、にぎやかですね。 季節のめまぐるしさが出ています。 やはり十五夜ですものね 雲の間に私だけの今日の月 いう余白:この「雲」は、世間の荒波や常識といったものでしょうか。灰色の雲間に、かけがえのない個性を持つ作者の主張が感じられます。そしてそれは、今日ただ今のこと。 でも、安心してください。アッバだけはすべてをご存知で、けっして貴女を忘れることはありません。 今日満ちて月の落とせる影長し 〃
日本はすっきりした良いお天気だったのでしょうか。すばらしい写真をUPされている方のブログなど見ました。 こちらは、少しさみしい十五夜だったかな。 余白:お月様が精一杯に「満ちて」、万象の影を色濃く残す。 月は自ら光らない。お日様の光を反射させて、ぼくらにくっきり影をつけ、人生とは何ぞや?と考えさせる。。。謙遜でも存在感の大きいお月様。 やはり「十五夜」という感覚は、日本を思い出させるのでしょうね。 「私だけの」「影」=生きる証をしっかり刻んで行ってください。 人去りて句は残りなん十六夜 栄一
なれないので 秋の部屋駱駝の影がふと覗く 一木
疲れた、今日は、この辺で失礼! 余白:ほいほい、どうもご苦労様です。 だんだん慣れてきますよ。頑張ってください! この「駱駝」なんとなく不気味ですね。何かを暗示しているのでしょうが、メルヘンチックでもあります。佳。 明日は満月 待宵や少し欠けたる美人かな いう余白:少し欠けているからこそ「美人」が引き立つ。 人間も、完全といわれる人って、どこかかたくるしかったり、余裕がなかったり。はたで肩が凝りますね。ちょっと抜けてるところがあるほうが、かわいいし、お付き合いしやすいものです。 御国待つ宵や薄雲敷く明り 〃
明日も晴れると良いですね。 行き合わす喧嘩にそらすぎぼしの目 〃立ち尽くす男は知らぬ柘榴の実 〃明けぬ夜の聖者いたみて草の露 〃二十六夜四句 杯に無明預けて六夜待ち 〃照らされて二十六夜の闇くきり 〃二十六夜は傾きて闇を抱く 〃傾ける月杯に干す無明 〃線一本引く秋冷や歩を進む 〃ひげに秋とまりてぴくり眠り猫 〃
秋は澄む私を通った風の色 いう腹の帯は移りにけりな穴の位置わが身世に太るながめせしまに・・・(Oh!No!の小町)小鳥らを発たせて銀杏揺るぎなし 栄一曇天を仰ぎ十字架称賛日 〃死は生へ十字架に主をいただきて いう悲しみの聖母にアッバ寄り添えり 栄一露宿る御母の袖は悲しみになほ開かれて雀らを抱く いう僧正忌殉教せんと季が動く 栄一寒くなってきましたー(^^;) はや林檎色付く君よ顔上げよ いう(ルカ9:43-45)
余白:高いところで林檎がすでに色づいていても、まず「顔を上げ」なければ、気づくことが出来ない。参照箇所中イエスが「この言葉をよく耳に入れておきなさい」というのは、そういう意味なんだと思います。
|
平田栄一『俳句でキリスト教』(サンパウロ、2005年6月刊) −俳句は祈り―日本人のためのキリスト教入門− 楽しみながら、自然に祈りへと誘う「求道俳句」の世界。 さまざまな俳句作品を、日本人キリスト者として読み解きながら、本当に大切なものは何か、今をどう生きるか、どう祈るかを模索した、日本人とキリスト教を同時に生きるためのエッセイ集。 ご購読は、販売元サンパウロ社、全国お近くの本屋さんからも注文できます。
また、ご希望の方には、著者サイン本直送販売も承ります。 お申し込みは、余白メールにて。 |
井上洋治著『わが師イエスの生涯』(日本キリスト教団出版局) 四六判 上製 220ページ 2,520円税込 ISBN4-8184-0557-4 C0095 2005-01 西欧文化や西欧の生活感情と一体となってきたキリスト教は、日本人に様々な違和感を引き起こしてきた。日本人の心の琴線にふれるキリスト教とイエスの素顔を真摯に求めて長い旅を続けてきた著者が、誕生から復活までを記したイエスの生涯。著者が渾身の力を尽くして完成したライフワーク。Copyright 2005 |
山根道公著『遠藤周作--その人生と『沈黙』の真実』(朝文社) 「『沈黙』の背後にある遠藤の人生について、母親郁、井上神父、棄教神父や病床体験等の関わりを考察。そして原題である「日向の匂い」に込められたテーマを、多くの資料を緻密に読み込むことで浮き彫りにした渾身の書。」
写真右は、山根夫人・知子氏(ノートルダム清心女子大学文学部助教授)の、これも渾身の著『宮沢賢治--妹トシの拓いた道』 |
平田栄一既刊:エッセイ詩集;『今を生きることば』(女子パウロ会 94年)、『やわらかな生き方』(サンパウロ 96年)、『人の思いをこえて』(ヨルダン社 99年)、『雨音のなかに』(ヨルダン社 2000年)など。
★ 既刊サイン本直売も承ります★
――――――――――――――――――――――――
SEO | [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送 | ||